生きる目的とは。愛することとは。

人間の生きる目的は、太古の昔から変わっていないようです。
縄文時代も弥生時代も、平安時代も戦国時代も、江戸時代も近代も、ずっと、人間の生きる目的は変わっていません。
経済的な成功を得ること、何か大きなことを成し遂げること、権力を握ること、は時代によって変わりますが、それは表面的なものです。
それを成し遂げても、永遠に続くものではないし、また、さらなる苦しみを持ってしまうこともあります。
そうではなく、時代によっても、人によっても変わることのない、とても大事な生きる目的があります。
それは、愛の本質を知ること、です。

愛の本質とは、存在を認め、それをそのままに受け入れることです。
これをしてくれるから、という条件を付けず、
自分に関係ない、と無関心にならず、
その人や生き物に、心の光を送ることです。

人は何のために生きているのか。何をするために人生はあるのか。
子どものころから考えていました。
今、やっと、自分なりの答えを見つけられた気がします。

生まれる前のこと

人として生まれる前、僕たちは雲のような存在でした。
雲は、形を変えながら風に吹かれて流されていきます。
自分の好きな形になれることがあったり、全然違う形になったりします。

どんな形になろうと、こだわる必要はありません。
ただ、夢見心地で風に吹かれるままに空を漂います。
お腹が減ることもありません。
何かが欲しくなることもありません。
一切の不安がありません。

他の雲とくっついたり、離れたりすることもあります。
大きな雲は色んな雲がくっついて一つの集合体になっています。
その中に入って、他と同化して過ごすときもあります。
そこでも、心地よく感じます。
常に満たされた状態です。
欲なんて無く、何にもこだわらず、誰もが譲り合って、豊かさを感じています。
自分を大切にすることと他を大切にすることの境界がありません。
自分のため、が他や全体のためになるし、他や全体のため、が自分のためでもあります。
自分と他者を隔てるものがありません。
全てがそうです。

雲の世界では、幸福感に満ちた、穏やかな感覚が永遠に続きます。
そこに留まっているうちに、少しずつ、地上世界に興味が沸いてきます。
地上世界は、雲の世界とは全く異質で、とても大変そうに見えます。
地上世界には、雲の世界のようにぼーっと安らぎ続けている人はあまりいません。
あくせく、何かに向かって、意識的に動いている人が多いです。
そして、楽しみを、喜びを、悲しみを、怒りを、感じています。
雲の世界にはないものを感じて過ごしています。
雲の世界から見ると、どの感情も興味深いものです。

地上の生活は、とてもエキサイティングで面白そうです。

だんだん、地上の生活への憧れが強くなり、永遠に安らぎだけの世界から、様々な感情の世界に行ってみたくなります。
そのためには、一時的に、自分の波動を下げる必要があります。
波動を下げて、肉体の内側に入り込むことで、地上に生まれることができます。
地上に生まれるとき望むことは、様々な感情を経験して、「本当の喜びと愛の本質を知りたい」ということです。

苦しみを通して、本当の喜びを知る。

苦しみがあるから、本当の喜びを知ることができます。
空腹を経験することで、食べることの喜びを味わえます。
病気を経験することで、健康であることが喜べます。
孤独を経験することで、人とつながったときの喜びを得られます。
雲の世界には、苦しみがありません。空腹も、病気も、孤独もありません。
無かったので、それを経験してから出会う喜びはどれほどのものか、知ることができませんでした。

持たざる状態を経験して、初めて、持つ喜びやその価値が分かるのです。

憎悪や怒りを通して、本当の愛を知る。

雲の世界には、憎悪も怒りもありません。
何かを取り合うことがなく、全てを受け入れて、平穏に過ごしているからです。
穏やかな気持ちのまま、統合と分離を繰り返します。
繰り返しているうちに、さらに、「全ては一つでしかない」ということがよく分かってきます。
全ては一つで、「個」はあってないようなものです。
分離したように見えても、結局、同じ「雲」でしかないのです。

全体を構成するうちに一つでしかないのです。

そのうち、愛とは何か分からない、と思うようになります。
全てを受け入れている状態(=愛)でしかないから、です。
それ以外がなく、それが当たり前で、それが延々と続くからです。

対立するものや、異なるものがあって初めて、それが何か分かります。
リンゴ以外のものがあるから、リンゴとは何か分かります。
赤以外の色があって、赤とはどんな色か分かります。
愛以外のものがない状態では、愛とは何か、分からなくなってくるのです。

雲の上には、愛しかなかったのです。

そんなとき、「地上での経験によって、もっと喜ぶことができるらしい。もっと、愛を実感が分かるらしい。」と言われます。
そして、愛をもっと深く知るために、地上に降りると決めます。

地上に降りる

地上に降りるとき、どのような喜びや愛を経験をしたいか決めます。
それに応じて、苦しみや悩みの種になるマイナスの出来事も起こることになります。

少しの苦しみからは、少しの喜びを経験できます。
多くの苦しみからは、多くの喜びを経験できます。
完全なる絶望からは、完全なる愛を知ることができます。

全てセットなんです。
コインには表と裏があります。
コインの表だけ手に入れることはできません。
表があれば、必ず裏もあります。
単純に、そういうことです。

マイナスの感情が出る全ての出来事を経験することで、それに応じた喜びと愛に気付きやすくなります。

雲の世界から出るときに願ったことは、「本当の喜びと愛の本質を知ること」です。
完全なる楽園では、愛の本質が理解できなかったのです。
愛の本質は、受け入れられないものも受け入れること、だからです。
受け入れられるものしかない世界では愛の本質に到達できません。

そのために、地上で「自分が受け入れられないもの」を探します。
「自分が受け入れられないもの」に近づきます。
「自分が受け入れられないもの」にフォーカスします。
真の喜びや愛の本質に気付くためには、それが必要だから、そうしてしまうのです。

引き寄せられるのです。
「自分はこんなことを望んでいない」と思っていても、生まれてきた目的として、その経験を望んでいるのです。
魂が望んでいる、と言えます。

「受け入れられないもの」にフォーカスして、悩み、苦しむことは、そうすることによって、
望んでいた喜びを経験するか、愛の本質に気付くためです。

そこに到達したとき、「受け入れられないもの」は去っていきます。
そこですべき経験は終わり、目的のものを経験したから。

表も裏も十分に感じたから。
予め決めていた「知りたかったこと」が分かったから。

そして、次の経験に向かっていくことになります。

それぞれの人生に上も下もありません。
それぞれが、この生で何を求めて来ているか、は全く異なります。
手段が違うのです。
でも、目的は、「本当の喜びと愛の本質を知りたい」こと、と共通しています。

愛と喜び以外の感情

雲の世界から見ていたときは、喜びや愛に憧れていましたが、実は、苦しみにも同様に憧れていました。
興味があったのです。
怒りとは、どのような感覚なんだろう。どんなエネルギーが出るのだろう。
嫉妬とは?
悲しみとは?
無力感とは?

どんな愛や喜びを経験したいか選択するとき、反対にあるこれらの感情を経験することも織り込み済みです。
どういう苦しみを経験することになるのか、わかっていました。
それを感じることに興味がありました。
だから、究極的には、それらの感情も「自分が求めていたもの」です。
それも生まれてきた目的の一つなのだから、きちんと感じきれば良いようです。
そして、ある程度感じ切れば、手放せばいいのです。
もう、十分に味わった、と。

愛とは

何かの拍子で、後ろの車からクラクションを鳴らされるとイラッとします。
雲の世界にいるときは、そのイラッとした感覚さえも憧れでした。
雲の世界ではそんなことは起こらないからです。
地上の世界でクラクションを鳴らされたことによって、愛に気付けたとすれば、以後、クラクションを鳴らされてもイラっとしなくなります。
そこに愛を見出したからです。

この場合の愛とは、クラクションを鳴らした人には鳴らさなければならないだけの理由があった、としてその人を受け入れることです。
心の光で包み込むことです。

自分と違うことを知り、そのうえで、相手を理解して、無視せずに、受け入れる、というものです。

愛とは、受け入れること、受容することです。
他者に対して、自然に対して、現象に対して、のみならず、自分に対しても。

他者を愛するとは、他者をそのままで良い、と受け入れて、心の光で包むことです。
自然を愛するとは、自然をそのままで良い、と受け入れて、心の光で包むことです。
現象を愛するとは、現象をそのままで良い、と受け入れて、心の光で包むことです。
自分を愛するとは、自分をそのままで良い、と受け入れて、心の光で包むことです。

一番難しいのは、「自分を愛すること」です。
それ以外は気の持ちよう(物の見方)で何とかなります。

自分を愛することは、自分の醜い部分、不出来な部分や自分の失敗をも直視し、「それで良い」と心の底から受け入れることです。
すべてのことについて、人のせいにしないで、自分に原因があると認めることです。
そのうえで、そんな自分を好きになって、「そのままで良い、ありがとう」と受け入れることです。

こうすることで、愛の本質が理解できてきます。
他者に対しても、自分に対しても。

まとめ

ブッダは王子として生まれ、幼少期、何不自由ない生活を送っていました。
そのまま王子として過ごしていれば、物質的に豊かな生涯を送っていたかもしれません。
でも、修行に出て悟りの境地に到達し、真の豊かさを手に入れました。
愛の本質も知ることができました。

雲の世界から、地上の世界に降り立ったことも、目的は同じです。
何不自由ない生活から、真の豊かさ、喜び、愛の本質に気付くために、地上世界に修行に出てきたのです。

そのために、苦しいこともありますが、そのことには表も裏もあります。
両方が、愛の表れです。

それに気づいて、愛の本質に出会うことが、生まれる前に自分で決めていた「生まれる目的」です。
人生の意味です。

そんなに難しく考えないようにしましょう。
あなたは、すでに、全部知っています。

それに気づけたら、また雲の世界に戻ったりするようです。
昔から、人は死んだらお星さまになったとか、雲の上から見ているとか言われるように。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました ^^

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